著者である相模屋食料(株)代表取締役鳥越淳司 社長のご講演を、法政大学経営大学院でのマーケティング論の授業で直接聞くことが出来ました。
とても魅力的な人柄に触れることが出来ました。レポートに纏めましたのでご興味のある方は読んでみて下さい。
「ザクとうふの哲学」感想レポート
(相模屋食料はいかにして業界No1となったか)
相模屋食料(株)代表取締役社長鳥越淳司著 夏目孝明編成 PHP研究所刊
本書は著者である鳥越氏が社長を務める相模屋食料(株)(以下 相模屋と記す)が、鳥越氏が婿養子として入社し社長となり、6年間で売上を4倍と言う急成長を為した経緯について記録編成した。本書の編成を任された夏目孝明氏は著者との対話を通してその突出した創造力、想像力に溢れる発想に大きく魅力を感じた。口調は静かでありながら、雄弁な説得力を持つ。人柄は温和でありながら、機智に富む。この計り知れない可能性を持った筆者の言葉、人となりを何かの形で残したいとの思いから出版に至った。
人は誰もが人生で大きな節目に出会い、その節目から如何にして学びとり、未来へ向けての糧に変えるのかが問われる。特記すべき著者の節目の一つに雪印食中毒事件がある。2000年3月31日に大阪工場で起きた氷柱落下に依る3時間の停電事故である。その際の工場の対応の判断ミスにより1万人を超える食中毒被害者を出すに至った史上最悪の事件となった。又、雪印と言うトップメーカーがその対応の悪さから社会的責任が大きく問われ企業としての存続を問われるまでに至る。筆者が損害を与えた加害企業の社員としてその被害者への謝罪、対応、後処理を2年間にわたり当事者との立場で受け止め誠心誠意取り組んだ。1日に13回もの土下座を経験した。その過程において「傷つくことなど怖くない」と言う武器を得る。又、人から与えられた立場や役職を誇ってはいけないとの誓いを立てる。この二つの武器はその後の筆者の生きる基準となり強みとなって機能する。
鳥越氏は事故から2年が経った頃、雪印を退職し相模屋の娘さんと入籍し相模屋に就職する。当時相模屋と言えば年商30億円の地場の中堅メーカーであった。鳥越氏がまず初めに取り組んだのは深夜1時からとうふ工場に入り2年間とうふの製造を続る事だった。その製造技術を徹底的に学び研究した。とうふの文化も共に学び取った。このことにより3つ目の武器、とうふの誰にも負けない知識、技術、そして自信を手に入れた。
自らの経験と向上心の元に3つの武器を得て、相模屋の社長として会社の成長に力いっぱい骨惜しまず取り組んだ。鳥越氏の発想は常にとてもユニークだ。本人が妄想と表現するほど奇想天外である。鳥越氏の妄想は多様な創造力を働かせ具体的な設定を織り込み、実際の店舗の売り場をイメージして出演者のセリフまで用意される。イメージを膨らませてそれを他者に伝えながら実現化に向けてひたひたと周囲を巻き込みながら為していく。「深める事」「感動してもらう事」ことこそ人を動かす原動力となる。その事を誰より知っているからこそ、多くの成功の実現を果たしてきた。
また、良き先輩にも恵まれた。その人柄から多くの協力者を周囲から得た。他者に理解されることに努める。協力者を得て情熱を持って教えを乞いその教えをより深めて実現させる。人の妙、人間観察にも優れ人の行動を捉えて丁寧に交わっていく。社内、社外を問わず、価値観を共有する。価値観がぶれない。その謙虚さ、直向きさ、懐の深さがとても魅力的である。何より創造力、創造力の豊かさは突出している。
「邪道と言うものは無い、売れるものが王道」。業界の常識に基いたセオリー、誇りやこだわりでは無く実践での教訓を踏まえての言葉だけに重く響く。「深さは人の心にしっかり伝わる」とも言い切る。全て実践からの学び取った教訓である。
大きな節目となった年商以上の投資に挑んだ「第3工場の建設」の際、取引先のコープネット事業連合、日本生協連(日生協)からは改善が必要な1000項目の指導と、相模屋には任せられないとの厳しい指導に受けた。しかしそれを糧に更なる改善を重ねて解決させて操業に漕ぎ着ける。常にピンチをチャンスに変えて来た。
多くの障壁を乗り越えて来たからこそ、為せた日本一の豆腐メーカーをさらに1000億円を目標に挑戦する業界1位を目ざすと言うだ。それこそが圧倒的な強みの経営を実現しトップシェア実現するのであると。その洞察力、モチベーションの高さ、仕事をとおして成長する事を追い続ける姿勢は清々しさを感じる。又必ずや業界1位年商1000億の実現にエールを送りたい。
相模屋食料の日本一、年商1000億円を見届けたい。応援したいと真剣に思った次第である。